ウクライナの正確・公平・公正な報道を守るため。機材提供で戦時下の公共放送局をサポート

2023年2月10日

ロシアによるウクライナへ侵攻が始まってから、はや1年。「現地には、度重なる攻撃で命の危険にさらされながらも、正確で公平な情報を国民へ発信し続けようとする『放送人』たちがいます」。そう語るのは、 NHKインターナショナルの宮尾篤さんです。JICAは放送人育成の経験が豊かな宮尾さんをリーダーに迎え、ウクライナ公共放送局(PBC)に協力するプロジェクトを2022年3月まで5年間行ってきました。このたび、そのフォローアップ協力として、戦時下で不足している放送機材の提供を実施。2023年2月9日、機材の第1陣が首都キーウのPBC本部へ無事引き渡されました。

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戦時下で報道を続けるジャーナリストたちを支えたい

いまだ戦争の終わりが見えないウクライナ。ロシアの侵攻が始まって間もない頃にキーウのテレビ塔が破壊されるなど、報道の現場も深刻な被害を受けています。PBCも一時、安全が確保できる西部のリビウに放送拠点を移していました。キーウに拠点を戻した現在も、予断を許さない状況が続いていますが、各地のジャーナリストたちが身体を張って戦況を伝え続けています。

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ウクライナのジャーナリストたちは、破壊された各地の現場で懸命に報道活動を続けている

危険を顧みず報道活動を続ける彼らにとって、現在の一番の課題は機材不足。キーウのテレビ塔が破壊されたことで、本部は現場取材用のモバイル中継装置を代替としており、そのため現場での取材には携帯電話などを使って撮影・送信するしかない状況が続いています。戦時下の報道においては、現場からの取材が大きな役割を果たしますが、その現場が大きな制約を受けているのです。そこでJICAは5年間のプロジェクトのフォローアップ協力として、モバイル中継装置やカメラを始めとした機材一式を調達し、PBCに引き渡すことを決定。2月9日、第1陣が無事キーウの本部へと送り届けられました。今後、第2陣も引き渡される予定です。

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モバイル中継装置。今回のフォローアップ協力では写真より一回り小型で機動性の高いものが供与された。今後、撮影用カメラ、レンズや付属品、ドローンなども引き渡される予定。

国民の知る権利に応えるため、国営放送を核に変革

ウクライナ初の公共放送局であるPBCの誕生は、2017年。それまであった国営放送を核としてスタートした若い放送局です。JICAの5年間の協力プロジェクトは、この発足当時から始まっています。どのような経緯で始まったのでしょうか。

「PBC発足の背景には、ウクライナのマスメディアが抱えていた大きな課題があります。作為的な世論操作や政治広告が溢れ、国民が本当に知りたい情報は提供されていませんでした」。プロジェクトを総括した宮尾さんは、そう話します。

当時は国内の4大財閥が主要メディアを独占して情報を操作する一方、国営放送は政府の広告塔のような状態でした。国際社会から「真のジャーナリズムは存在しない」という指摘を受け、EU加盟を目指していたウクライナ政府は、管理下においていた国営放送を、政府の統制から自立した、公共の福祉のために放送を行う「公共放送」へと変革することに踏み切ります。とはいえ、これまでの体制を変えるには、抜本的な改革が必要でした。そこでJICAは、これまで各国で豊富な知見を活かして「放送人」の育成を行ってきたNHKインターナショナルに委託し、公共放送の体制づくりと人材育成を目指すプロジェクトを開始したのです。

「プロジェクトの上位目標は、PBCが信頼されるマスメディアのモデルになることでした。国営放送時代、一日の平均視聴率は1%以下。旧ソ連時代からの視聴者の関心を度外視した報道・番組制作が、国民に信頼されていなかった証です。公共放送としてのあり方を一から伝えていかなくてはと、身が引き締まりました」。そう宮尾さんは振り返ります。

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プロジェクトの様子を振り返る宮尾さん

正確で迅速な緊急報道のための全国ネットワークを構築

プロジェクトの柱は3つ。1つ目は、質の高い番組をつくるために必要な技術・機材面の充実。2つ目は、公共放送ならではの教育・福祉番組の制作。そして3つ目は、災害や大事件が起きた際の緊急報道を実施する体制の確立。このうち緊急報道については国民の生命財産に直結するだけに、公共放送の要となる部分です。宮尾さん自ら指揮をとり、PBCの人たちとともに改革を進めました。

「緊急時には、地方局と本部が連携し、正確な情報をいかに早く国民に伝えるかということが何より重要です。そのためにまず、全国ネットワークを構築することから始めました」

国営放送局時代は地方局の独立志向が強く、統率がとれていないバラバラの状態でしたが、キーウの本部の指揮下に22の全地方局を置くという組織改革を断行。ネットワークを緊密にするために、本部と全支局の責任者を集めて、意見交換のワークショップを何度も行いました。とことん話し合って絆を深めることで、一体感や連帯感は確実に強まったと宮尾さんは言います。

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ワークショップの様子。奥右から2人目が宮尾さん

さらに、緊急報道のノウハウをまとめたハンドブックも制作。コロナ禍や戦争などの事態を想定した実践的なマニュアルを何度も読み込み、いざという時動揺しないよう心の準備を整える。その上で、緊急時に職員を動員する手順をあらかじめ決めておくなど、ニュースの現場の意識変革や体制整備に活用されていきました。

5年間の取り組みで、国民の受け止め方も変わってきました。世論調査によると、PBCの視聴率や信頼度は大きく向上し、財閥系の民放と比べて、内容に偏りがないバランスの取れたメディアだと認められるようになりました。

「公共放送でもっとも重要なのは、営利を目的とせず、権力から常に一定の距離を保つこと」と語る宮尾さん。「PBC初代会長はそのスタンスを貫き、卓越したリーダーシップで信頼度向上に大きく寄与しました。その姿勢は、現会長の39歳と若いミコラ・チェルノティツィキー氏にもしっかりと受け継がれています」

準備していたシナリオで侵攻に対応、今後はさらなる能力強化へ

こうしてPBCは、公共放送としての着実な歩みを始めました。しかし2022年、非常事態が発生します。まだ組織づくりが十分ではない段階で、ロシアによる侵攻が始まったのです。 ただ不幸中の幸いで、ワークショップなどで常にロシアによる侵攻の可能性を議論していたため、侵攻の可能性が高くなった段階である程度の準備を行うことができたと、チェルノティツィキー会長は言います。

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PBC支局の地下スタジオ。空襲警報が鳴ると、地下にある仮設スタジオに潜って配信を続ける

「①東部が侵略された場合、②南部と東部が侵略された場合、③全土が占拠された場合、の3つのシナリオを準備していました。そのため、実際の侵略後、現場で判断できるような組織体制へと迅速に移行することができました。現在は日本の協力のもと、バックアップ・センターの整備や拠点局を分散させる計画も進めています」(チェルノティツィキー会長)
昨年11月、PBCへの協力プロジェクトのフェーズ2が決定。今後もJICAは、宮尾さんらとともにNHKの体制を参考にバックアップ・センターの整備や地方支局の機能を強化し、さらなるPBCの放送能力強化を目指します。

「ウクライナ初の公共放送の灯が消えないように、できる限り力になりたい。戦地の彼らの無事を祈るとともに、ジャーナリストとしての使命を貫いてほしいと思います。今回の戦争を乗り越え、さらにたくましくなって、PBCがウクライナの皆に信頼されるメディアとして飛躍してほしい」と話す宮尾さん。PBCの人たちと共有する「放送人」としての誇りを胸に、未来を見据えます。

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ミコラ・チェルノティツィキー会長(右)と宮尾さん(2021年12月撮影)